生きているのが苦痛
希死念慮とは。
死にたいと願うこと。
[補説]自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。
(希死念慮(キシネンリョ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp))
物心ついたころから、なんとなく生きているのが辛かった。
どこにいても居心地が悪くて、何をしていても空虚で、なにかに怯えていた。
けれど、楽しいと思うことがないわけではない。美味しいものを食べて、美味しいと思うことだってある。嬉しいとか、面白いとか、そういう正の感情に心動かされる時もある。
趣味だってあるし、友達とだって笑いあえる。
ただ、ふとした瞬間に。頭か心の片隅の空洞に引っ張られる。
何もかもが無価値に思えて、感覚が褪せて、空になる。
自分は何なのか、どうしたらいいのか。
この「生きづらさ」としか形容できないものは何なのだろう。何が原因なのだろう。
ずっと抱え続け、考え続けてきた(考えざるをえなかった)ことを、ここに書いてみる。
※
今日は雨だからか、関節が痛みます。
最近気圧の変化に弱いな、という自覚をしました。
これを読んでくださっている皆さんはどうでしょうか。
足元が冷えるので、暖かくしてご自愛ください。